【炎上論0】「ごんぎつね」の始末書
論旨を乱暴にとりまとめると、
「他人があなたの意図を読み違えてしまうのは"しょうがない"し、またあなたが他人の意図を読み違えてしまうのも"しょうがない"ので、くよくよ悩むだけ時間の無駄。風呂入って早よ寝なさい」
…っていう形になるんですけど、乱暴さによって損なわれてしまうものも結構あると思うので、以下、省略せずに申し上げます。よろしくお願いいたします。
「ごん狐」の兵十に始末書を書かせる
さて、皆さんもきっと子供の頃に読んだことがおありになるかと思うんですが、新美南吉の有名な童話に「ごん狐」というのがございます。
話の筋については、皆さん大体おわかりになると思うので説明は割愛するとして…結末のところだけ確認しておきますと、物語の主要人物・兵十は、栗を差し入れに来ただけの子狐・ごんのことを、火縄銃で撃ち殺します。
そのあくる日もごんは、栗をもって、兵十の家へ出かけました。兵十は物置で縄をなっていました。それでごんは家の裏口から、こっそり中へはいりました。
そのとき兵十は、ふと顔をあげました。と狐が家の中へはいったではありませんか。こないだうなぎをぬすみやがったあのごん狐めが、またいたずらをしに来たな。
「ようし。」
兵十は立ちあがって、納屋にかけてある火縄銃をとって、火薬をつめました。
そして足音をしのばせてちかよって、今戸口を出ようとするごんを、ドンと、うちました。ごんは、ばたりとたおれました。兵十はかけよって来ました。家の中を見ると、土間に栗が、かためておいてあるのが目につきました。
「おや」と兵十は、びっくりしてごんに目を落しました。
「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは」
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
兵十は火縄銃をばたりと、とり落しました。青い煙が、まだ筒口から細く出ていました。(青空文庫:新美南吉「ごん狐」)
それで、ここのところで皆さんに注目いただきたいのは、兵十がごんを撃ち殺す前に実行した、[斟酌]という行為です。
そうです、[斟酌]です。皆さんだって、狐を撃ち殺すようなことはないにしても、家族や、恋人や、友人や、そういった身近な方々のお気持ちを斟酌するようなことはございますでしょう?
さておき、この[斟酌]という行為の目的をーー
- 他人の内面を正確に読み取ること
ーーと仮定するならば、兵十は[斟酌]に大失敗しています。だって彼は、[栗の実を差し入れしたい]という本来の意図を、[いたずらをしたい]というふうに読み誤ってしまっているわけですからね。
では、ここで皆さんに質問です。兵十は、なぜ[斟酌]に失敗してしまったのでしょうか? 栗の実を差し入れに来ただけの子狐・ごんを見て、彼は何故に[いたずらをしにきた]と思ってしまったのでしょうか?
なかなか難しい問いのように思われますが、しかし実のところ、これは[斟酌]という行為の流れを詳しく確認すればすぐに答えがわかります。言い換えると…[斟酌]という一語によって大雑把にまとめられている動きを、細かいプロセスに分けてみれば、問題点がハッキリ見えてくる…わけです。ということで分解してみましょう。
スローモーションで見る[斟酌]
私たちの実行する[斟酌]という行為は、ざっくり申し上げて2つのプロセスによって構成されています ↓
- [現に行われた動作]の参照
- [現に行われた動作]を手がかりとした、動作主の内面についての仮説の定立
つまり、私たちはまず、①[現に行われた動作]を参照しーー
- 子狐・ごんは、村の芋畑を荒らした
- 子狐・ごんは、菜種殻に放火した
- 子狐・ごんは、兵十のうなぎを盗んだ
- 子狐・ごんは、兵十の家に忍び込んだ
――そして、これらを手がかりとして、②動作主(=ごん)の内面についての仮説を立てる。
- 仮説:子狐・ごんは、いたずらをしたがっているのだろう
以上、この①②という一連のプロセスこそが、私たちが[斟酌]と一言で呼んでいる行為の実態です。
兵十はなぜ誤ったのか?
で、プロセスを整理して考えると、[斟酌]の失敗の原因が明確になります。たとえば、兵十の場合は、どう考えても①のプロセスに問題がありました。つまり兵十はごんの意図を考えるときに――
- 子狐・ごんは、村の芋畑を荒らした
- 子狐・ごんは、菜種殻に放火した
- 子狐・ごんは、兵十のうなぎを盗んだ
- 子狐・ごんは、兵十の家に忍び込んだ
――といった動作しか参照していません。ですが、仮に兵十が、物語の書き手である新美南吉や、私たち読者と同じように――
- 子狐・ごんは、兵十の母親の葬儀をみて、自分のやったいたずらを悔やんだ
- 子狐・ごんは、兵十のためにイワシを盗んだ
- 子狐・ごんは、兵十にイワシ泥棒の濡れ衣を着せてしまったことを申し訳なく思った
- 子狐・ごんは、兵十の家に、栗の実やまつたけを差し入れした
――といった動作のことまで参照していれば、おそらく②のほうはうまく行ったはずです。だから、【なぜ[斟酌]に失敗したのか?】という問いに対する解は、シンプルにこうです ↓
- 失敗の原因:子狐・ごんの動作を、部分的にしか参照していなかったから
で、失敗の原因がわかれば、予防策を立てるのは簡単です。つまり、[斟酌]の失敗を回避するために兵十がなすべきだったのはーー
- 予防策:子狐・ごんの動作を、網羅的に参照する
ーーという、ただこれだけのことだ、というふうに、まあシンプルに言えるわけですね。
兵十にそんな暇はない
しかし、こっからが最も重要なんですけど――
- 他人の動作を、網羅的に参照する
――っていうのは、そんな容易なことではないです。なぜか? 単純な話として、兵十は別に、子狐・ごんの意図を正確に読み取るためだけに生きているわけではないからです。
兵十は、生活のために日々の仕事をしなければなりませんでしたし、眠らなければなりませんでしたし、ご飯も食べなければなりませんでしたし、寝込んでいる母親のことも考えてあげなければなりませんでした。
で、当たり前の話ですが、私たち人間の時間や体力というは、無限じゃないです。だから、兵十は限られたリソースをやりくりしなければならず、だから、ごんの行動をずっと観察しているわけにはいかず、だからこそ彼は、ごんの心情を読み違え、そしてごんのことを遂には撃ち殺してしまった。
それで、このように考えてみますと、兵十の[斟酌]の失敗は、(やや酷薄に聞こえるかもしれませんが)"しょうがなかった"のだと言えるかもしれません。
だって、兵十とごんは親子じゃないし、兄弟でもないし、恋人同士でもないし、友達同士でもないんですよ? そんなほとんど"赤の他人"であるようなごんのことを、兵十がつきっきりで観察していなかったからといって、そこになんの非があるって言うんでしょうか? 自分の生活を全部ほっぽり出してでも、兵十は"赤の他人"を観察していなければならなかったんでしょうか?
私たちにもそんな暇はない
もちろん、ここまでに述べてきたことは、兵十だけに言えることではないです。皆さんにも当てはまりますし、わたし自身にも当てはまります。
兵十も、皆さんも、私も、みんな同じに人間です。そして人ひとりの生きられる時間は限られていて、にも関わらず、やるべき仕事はいっぱいあります。だから私たちは、やるべき仕事の一つ一つに優先順位をつけなければならず、だからこそ私たちはときに、他人の気持ちを見誤ってしまうことがある。
それは相手が[親しい間柄の仲間](=恋人とか友人とか)であるような場合もそうですし、また相手が[ネットの向こう側のワケのわからん誰か]であるような場合は尚更です。数えきれないほど大量にいる[ネットの向こう側のワケのわからん誰か]の"本当のお気持ち"なんかいちいち慮っていたら、やるべき仕事をするためのリソースがなくなっちゃいますからね。
ということで、改めて結論を申し上げておきましょう。他人があなたの意図を読み違えてしまうのは、"しょうがない"ですし、あなたが他人の意図を読み違えてしまうのも、"しょうがない"です。
なぜならば――
- 私たちの[リソース]は有限であり、
- [やるべき仕事]は山積みであり、
- だからこそ私たちは[やるべき仕事]に優先順位を設けねばならず、
- そして[他人のお気持ちの拝察]は仕事としての優先度がクソ低いから
――です。以上、おわかりいただけましたでしょうか?
行為には[多用途性]があるって話
ところで以下は余談なんですけど、私は今回のお話の最初の方でーー
[斟酌]という行為の目的を[他人の内面を正確に読み取ること]と仮定するならば、兵十はそれに失敗している
ーーといったようなことを申し上げましたよね。しかしながら、ご留意いただきたいんですが、[斟酌]という行為の目的が、必ずしも[他人の内面を正確に読み取ること」であるとは限りません。
つまりですね、[着火]という行為が「暖をとるため」にも「人を殺すため」にも利用され得るように、また[ウソをつく]という行為が[金銭を得るため]にも[好きな人を傷つけないため]にも利用され得るように、[斟酌]という行為もいろんな用途で利用され得るわけなんですよ。したがって可能性の話をさせてもらうとーー
- 躊躇なしに引き金を引くこと
ーーを目的として[斟酌]が行われる場合も、あり得るっちゃあり得るわけです。それで、もし兵十がこっちを目的にしていたんだとしたら、彼の[斟酌]は大々々成功です。というのも、彼は現に[斟酌]の実行によって[躊躇なく引き金を引くこと]が出来てますからね。
そのとき兵十は、ふと顔をあげました。と狐が家の中へはいったではありませんか。こないだうなぎをぬすみやがったあのごん狐めが、またいたずらをしに来たな。
「ようし。」
兵十は立ちあがって、納屋にかけてある火縄銃をとって、火薬をつめました。
そして足音をしのばせてちかよって、今戸口を出ようとするごんを、ドンと、うちました。ごんは、ばたりとたおれました。(青空文庫:新美南吉「ごん狐」)
もちろん、兵十はそんなやつじゃなかったとは思います。彼は、ごんの本当の気持ちを知ろうとしてうっかり誤ってしまったのであって、さっさと引き金を引くためにわざとごんの心情を見誤ったのでは断じてないのだと思います。
でも、「ごん狐」という童話の外側には、もしかしたらそういう人もいるかもしれません。つまりもっと明確に言うと【他人を知るためにではなく、他人殴るために[斟酌]を行うような人間】が、です。
で、そういう人たちの存在と、そして、これを読んでいるあなたも(その必要性さえあれば)そういう存在となり得るってことを勘案してみますと…やっぱり結論は、こうです。
「他人があなたの意図を読み違えてしまうのは"しょうがない"し、またあなたが他人の意図を読み違えてしまうのも"しょうがない"ので、くよくよ悩むだけ時間の無駄。風呂入って早よ寝なさい」
きょうのお話は…
なお、きょう私がここで申し上げましたことは、拙稿『大炎上論 [ヒトがヒトを攻撃すること]についての品性を欠いた思索』の内容のうちのほんの一部を、軽い一口話として仕立て直したものでございます。
なので内容がお気に召しましたら、『大炎上論』のほうもぜひお求めくださいませ。きっと、読んでいる途中でぐっすり眠れますよ。